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世の中が変わってきた?


誰にでも慣れ親しんだ生活パターンがある。

毎日を忙しく行動していると、
特に不思議に感じることもなく
時間が過ぎ、月日が過ぎる。

それが日常というものだし、
当たり前のこと。

僕もそうだった。

つい数ヶ月前までは、
毎日決まった電車に乗り、
決まった現場の決まった場所に向かい
決まった仕事を行いまた電車で帰ってくる。

しかし、そういったライフスタイルから離れて
ぼんやりと世の中を見てみると、
何か違和感を感じたのですよ。

これまで疑いなく過ごしてきたけれど

何かが変わってきていないか?
変わっている最中なのか?
いや、もう変わってしまっていないか?

そもそも都会にこだわって仕事をする必要はあるのか?
というよりも、土地や場所に縛られる必要あるのかな?

テクノロジーの進化がもたらした自由


僕が数年のドロップアウトをしている間だけを見ても、
テクノロジーの進化によって個人が活動可能な領域が増えましたね。
それは広さもそうだし、その深さにおいてもそう。

すでに個人は環境から自由になっている

今後もインフラの整備が進み、
土地ごとの情報量格差も、時間差もなくなるでしょうし、
どこにいても条件は同じになりますね、今以上に。

一極集中は限界に達したあと還流を起こす


一時はなんでもかんでも東京へ集中してきていました。
それこそなんでも、ニッチを埋めるかのように、
そこに小さなニーズがあるならばなんでも。

この流れは早晩に変わるような気がします。

都会は多様なものがいっしょくたになっていて、
しかし計画的にそうなったのではなく、
時間をかけてできあがったものです。

それはそれで独自のカルチャーを生み、
今この瞬間にも新しい形が試され
形を成していっています。

この空気感、僕はキライじゃないです。

しかし、飽和感もあります。
僕が鈍感だからなのかもしれませんが、
最近の都会は似たようなものの焼き直しで
あまり変化を感じないんです。

おじさんだからなのかな。
いや、僕の周りの人たちがオジサンばかりだからなのかも。

まあ実際は動いているでしょうけれど、
明らかに歩みはスローになっているって感じます。

それも変化の形の1つでしょう。

けど、飽和状態の都会で堰きとめられた
行き場を失ったパワーはどこかへ向かわなければならない。

そう、今度はそのまま地域へ向かう。

気付かない間に小さな流れができ、
みなの目の前には、
強く大きな潮流となって現れてくる。

進化したコミュニティとカルチャーへ


より洗練されたものをマッチングさせた、
都会の進化型を、都会の未来形を
今度は地方に、
日本中のいたるところに作り出せるかもしれない。
東京が本当はそうなりたかったかもしれない
理想的なコミュニティの姿を追求していくことが
可能になるかもしれない。

それがこれからの自然なトレンドになる日も近いのかな....

なんて思いました。

新時代だ。

大きな可能性を感じるぞ。

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