震災からの町の再生、土地を計画的に作りこむその理由
命を守る土地利用への転換
15メートル以上の津波が襲ったこの地域。
同じレベルの津波に襲われた場合でも、避難の時間が十分に確保でき、居住区域には影響を与えないための区画整理が進んでいます。

【志津川中学高近くの高台から】
山を開き、居住地区を作り、その土砂を使って旧市街地(海抜が低い地区)をかさ上げしています。
見た目は、いたるところ台形の山ばかりです。ほとんどが整地作業をしている場所に運ぶ前の一時置き場なのですが、これにも理由がありますね。
復興計画にもあるように、順番があるようです。
まずは住民が安心して生活できる居住区域を作り、続いて仕事をしていく場所を整備する。
低海抜地帯への埋め立ては、今後も進みます。
今ある道路は、集積した土のふもとを縫うように通してあります。この低いところを通る道路も、新しい国道45号線が開通したら順次埋め立てられるみたいです。

このように、海抜に応じて土地利用を定義し、命を守るための計画になっています。
もし5年前と同等の津波がきた場合でも、避難時間にも余裕を生み出し、かつ居住区には影響を与えないための策です。
三陸沿岸は宮城から岩手、青森にかけて津波で壊滅的被害を受けました。南三陸よりも高い津波が襲った町も多くあります。
それらの町でも、命を守る土地再生に向けて予算を貼り、活動がすすめられていますが、町によっては高い堤防を築くところもあります。
岩手県宮古市田老地区では、6メートルの防潮堤が木っ端微塵にされたところに、倍以上の高さの防潮堤を築くようです。
防潮堤、海見えぬ怖さ かさ上げ要望なお強く
ここ南三陸は壁で跳ね返すのではなく、津波を吸収して受け流す?いなすような仕組みにするようです。
海という場所は、陸での常識は通用しない
僕らは地面という抵抗のある硬いところの上で踏ん張って生きています。そうすると発想が自然と抵抗力ありきになってしまう。なんでも力任せでなんとかなるって考えちゃう。
ところが海、水、波のように足場もない、しかも巨大な力をもつ存在が相手だと、その理屈はなにも通用しないんですよ。
まず海の上、波の上は踏ん張ろうにも踏ん張れない。
水ですからね。
そして力でも圧倒的。形もない、手ですくえるような存在なのに、海、波になると人間の力でどうこうできるものではなくなってしまう。
だからここ南三陸では、海や波の動き、流れに順応し、その力を借りる方向で町を作り直しているんですね。
波乗りをしているとわかるけれど、海から伝わってくるパワー感には何か神々しいものを感じます。
理由なんて何もない。沖で波待ちしていると伝わってくるなにかがあるだけです。
そのような畏敬の対象に逆らうのではなく、同調する、水の動きや力を借りることが得策 ⇒ というよりも、海に暮らす民にしてみればそんなことは当然の方向性なのだ。
自然との共存。人と自然が共生する世界観
こういった発想、ハワイに似ていますね。
ハワイも人と自然と神々が共生する島です。
全てのもの、山、海、森、木、花、空、雲、風、岩、波、ありとあらゆるものに神が宿っている。人々はそれら神々からの恵みを受け取り生かされている。そして神々に対する畏怖の念と感謝を忘れない。
アロハ・スピリットなのかな?
けど、日本もそうだったはずなんですよ。
八百万の神っていうじゃないですか。
この国だって森羅万象に神々が存在すると考えていた。お祭りだって元々は、それら神々への感謝を伝える儀式だったんじゃないのかなあ。
南三陸町の土地利用の方向性、大賛成です。
工事はまだまだ続きます。
きっと今日も、ダンプが土を運び、重機が土地をならす景色が広がっているはずです。
「必ずこの目で完成形を確かめたい。」
偽りない今の気持ちです。
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